40年前のサグラダ・ファミリア

私が初めてスペインを訪れたのは、1973年の12月でした。当時は外貨持ち出しに制限がありましたが、私の所持金は200ドルにも満たなかったのでした。今、思えば若気の至りというか、かなり無謀な旅立ちでした。ただ当時は学生運動が求心力を失って、若者たちは居場所を見失い、彷徨い始めた時代だったように思います。

アントニオ・ガウディ

 

 

私の本来の目的地はイギリスだったのですが、紆余曲折の事情が重なり、偶然にも旧知のカナダ人夫妻とスペインの地中海にあるマヨルカ島へ行くことになりました。その地でリゾート会社、地中海クラブ系の建築事務所でアルバイトとして働くことになりました。今や世界的芸術家となったMiquel Barcelo(ミケル・バルセロ)とたまたま同居人になり、彼の芸術運動に参加し、やがて建築家アントニオ・ガウディの世界を知ります。 彼の代表作サグラダ・ファミリアを初めて見た時、実は激しい嫌悪感を覚えたのですが、その後なぜか惹かれ、足しげく通う内に彼の人生とその建築に大いに興味を持ったのでした。

 

 

 

下の写真は、私が1974年にサグラダファミリアを訪ねた時の写真で、今から40年以上前のものです。アントニオ・ガウディはサグラダ・ファミリアの2代目建築家として1925年に「生誕のファサード」を完成させ、その翌年の1926年6月7日、市電に跳ねられて3日後に死去します。73歳の生涯でしたが彼の遺言により、工事は今も尚、続けられています。サグラダファミリア

1974年当時も「受難のファサード」(写真)の建設は財政難の中、ゆっくりと進められていました。ガウディはサグラダファミリアの詳細な設計図を残しておらず、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされています。受難のファサード

明日はサグラダ・ファミリアとともにガウディの作品で有名なグエル公園を紹介したいと思います。